東北地方太平洋沖地震と私
3.11
あの日から12年が過ぎました。
ブログにします。
東北地方太平洋沖地震の日
3月6日生まれの長女です。12年前の震災は、1歳の誕生日の直後でした。私は未婚の母、娘と二人でアパートで暮らしていました。
あの時、娘をお昼寝させた直後のできごとです。私はお風呂掃除をしていました。
お風呂ってあまり揺れません。掃除は頭が揺れますので、地震の揺れに気づきませんでした。私の携帯は寝室の娘の近くに置いてあり‥。携帯の地震速報の音にも気づかずに、お風呂掃除をしていました。
気付いたのは相当揺れがひどくなり、物が割れ始まってからです。急いで寝室に向かうと冷蔵庫が倒れて通路を斜めにふさぎました。長い揺れの中冷蔵庫の下を通り抜けて、娘の元へ走ります。震度6。母(私)は、揺れに負けません。すぐに娘の安全を確保しました。私が怖がると、娘はもっと怖いのです。だから平気なふりをしました。
電子レンジも落ちて、食器も割れ、壁紙が剥がれだしました。天井からはグズが落ちて来ました。窓ガラスが割れそうなくらい強い揺れだったのを覚えています。とても長い長い揺れが繰り返し起こりました。
大慌てだったので、お風呂場のシャワーを出しっぱなしでした。揺れがおさまってから、浴槽の水が溢れる音に気づきました。急いで止めて‥。まさかこの直後から28日間の断水です。我が家のお風呂場には大量の水!おかげ様で生活水に困る事は有りませんでした。
避難所が混み合う中、長女は当時泣きもひどく、喘息だった事も有り、避難所に避難せずにアパートで二人で過ごす事に決めました。避難しても、ザワザワすれば娘をゆっくり寝せてあげれない。風邪をもらっても困る。私さえしっかりしていれば大丈夫!と信じていました。強い余震が来るたびに車に避難しました。3月なのに地震の後は吹雪だったのを覚えています。
駐車場には、娘と同じくらいの女の子とお母さんが雪の中外で立っていました。
とても寒くて気の毒に思いました。話しかけ、一緒に暖房のついている私の車でニュースを聞きながら過ごしました。全くニュースの声が頭に入りません。その日どうするか?考えるだけで精一杯です。
近所の親子は、「旦那さんが連絡取れない」と困っていました・・・。現金もない。食べ物もない。介護士の旦那さんがいつ帰ってくるか解らない・・と。旦那さんが財布の紐を握って居たようで、家に何も無かったそうです。私が自宅に戻ろうとしても、車を降りる気配が無く、仕方ないので「今晩うちに泊まりますか?」と聞くと、泊まるとの事で我が家で保護しました。
割れ物だらけの大荒れのリビングです。電気もないので、掃き掃除、拭き掃除をして子供達の遊び場を作りました。プロパンガスだったので、暗くなる前にご飯も作り一緒にご飯を食べました。こんな時に来客です。これも自分の越えるべき試練だと前向きに考えました。
うっ。これ愚痴っぽくなりそうですw
結局、毎日掃除もご飯の用意も私がして、食材も私の家の物です。近所の人が持ってきてくれたのは蝋燭だけ・・。食品も我が家の冷蔵庫の物だけでしのぎ、4泊の共同生活をしました。震災直後のおもてなし・・・。
靴も枕元に置き、コート着て寝て。合宿生活みたいです。余震の度に震える近所の親子をかばい、背中をさすっていたのを覚えています。5泊目に「節約家」と噂で聞いていた旦那さんが登場!やっと迎えにきてくれました。「ありがとうございました。」と帰って行きました。おい!!おーっと。別に見返りが欲しかったわけでは有りません。「おまえ!仕事だからって、家放置しすぎ!」「緊急時に備えて、金少しは持たせろよ!」超超ど説教してやりたかったです。我慢です。私より年上夫婦でした。
余談の愚痴・・
その後・・・、小学1年生の時に娘と、あの時の子は同じクラスでした。近所の子は娘の事を仲間外れにしました!毎日くーーーー、くそがきーーーーーーーぃぃぃ!娘が朝みんなで一緒に学校に行こうとすると、娘と一緒に行くのが嫌で、娘が消えるまでアパートの駐車場を悲鳴を上げながら逃げ回っていました。「こないでー」「きらいー」と叫びながら。きーーーーぃぃぃ。昔から大っ嫌いだ!第一印象から嫌いでした!とは思ってはいけないですね・・。バランスを崩しやすいのは昔から、言っても仕方ないのです。
ガソリンが無い
自分たちの必要な物を買い物したり、我が家に避難した親子の必要な買い物をしたり、営業しているお店を探したり、ガソリン不足になるとは知らずに、毎日たくさん運転していました。
電力は4日間途絶えたまま。ニュースを見る事もありませんでした。むしろ、子供に見せない方が良いという情報が周り、見ないようにしていました。日々を何とか前向きに過ごすのみです。
近所の親子が帰った時には、ガソリンほぼ有りませんでした。ガソリン不足知らなかった。
ガソリンスタンドに並ぶのであれば、ガソリンの無駄使いしなきゃよかったと思いながらも、車のお陰で気晴らしが出来ました。
朝の5時から娘と二人でガソリンスタンドに並びました。いざ長蛇の列へ出陣です!!向かった場所は、ガソリンスタンドが4か所集中している場所です。最後尾を一生懸命探しました。最後尾あった!!と娘がチャイルドシートで大暴れ、ひどく泣き叫んでいました。急いで車を停め、車から降りて娘をあやしていました。
あとから知った事!!私は究極の横入りです。ガラの悪いお兄さんの車と、ガラの悪い仲間のお兄さんの車の間に停めてしまいました。後ろの車の運転手が寝ていて、車を動かさない間に私が割り込んだようです…。でも、注意される前に、私は大泣きしている娘を抱っこして車から降り、泣き止ませている姿を見て、何も言わないでくれたようです。本当に気づきませんでした。自分はてっきり最後尾に並んだと思って居ます。
結構な気の荒いお兄さんたちで、いろいろな車を追い払ったり、車を叩いたりするのを目撃してしまいました。おっと、変な順番に並んでしまった・・と思いました。たまに怒鳴り声が響き渡り迫力満点です。リアルビーバップ!!
私の前の車と後ろの車が友達同士だったことに気づいたのは、だいぶ後になってからです。前も後ろも気が荒い人達だと思ったら、友達同士でした。あの時は、ガソリンに並ぶだけであっちこっちで大喧嘩が起こりました。みんな必死です。どんなに大喧嘩が起こっても警察はきません。
自分の横入りに気づいてすぐに謝りに伺いました。
「別に今更、並び直さなくてもいいんじゃね?!」って・・。ビーバップ―!!えーーー。
授乳するのも、オムツ変えるのも、全て車の中です。
ガソリンが無くなるので、エンジンは付けられません。寒い車内で過ごしていました。
8人組の若者たちに助けられました。
横入りですけどね・・。救って頂きました。
強い物には強く、弱い物に優しく・・・。良い所あるじゃん!やるじゃん!
店がオープンしてすぐ、ガソリンを入れる事が出来ました。並んだのは4時間くらいです。
世の中我慢する事も有れば、助けてくれる人もいます。人生捨てたもんじゃない!!
公立高校の合格発表へ
近所の親子を、旦那さんに渡してから、
私はいとこの家へ行きました。
父・消防士のレスキュー隊
母・保育士の責任者
学生の娘と息子の家庭です。
いとこの家は、おじさんの職業柄ライフラインが全てそろっていました。
両親は何日も帰って来れません。ずっとお仕事の家庭でした。18歳と15歳のいとこが二人で留守番です。2人で何日も過ごし、家が荒れて居ました。心細かったと思います。1度だけおじさんが家の様子を見に帰って来たけど、すぐにまたお仕事に戻ったそうです。被災地のレスキュー隊は、人が助かる可能性がある間はずっと働き続けました。どんなに我が子が心配でも家に帰れません。被害の規模も解らない状況でした。
おばさんは、最後まで迎えが来ない児童を保護していました。その子の親戚が迎えに来るまで10日間かかりました。自宅に帰宅せずに、児童と過ごしました。
私がいとこの家へ行った時、余震の中で二人で何とか生活していた様子を見てびっくりしました。ガソリン不足を気にせずに、毎日青空を眺めて近所を運転していた私と大違いです。地震で割れた物や、倒れた物が適当に片づけられた暗い室内です。「どうしたらいいか解らない」と、無気力のいとこ達が居ました。
どうしたら良いかなんて誰も解らないから考えちゃだめだよ!私の娘が遊ぶ場所を作るから手伝って・・・!って、自分たちの為には何もしない若者でも、娘の為には一生懸命手伝ってくれました。
家中ピカピカにして、壊れた家具は庭にぶん投げました。投げる度にストレス発散。ちょっと楽しくなりました。庭がゴミの山になる程、室内はスッキリ片付きます。
「母が掃除するよりきれい」って・・いとこが・・。爆笑したのを覚えてます。
仕事が忙しい家庭です。片付けが苦手なおばさんでした。
私は娘を未婚出産する時、何度も親に追い込まれました。大反対どころではなかった・・。無理矢理病院に連れて行く計画もされたくらいです。家のご飯が怖くて食べれなかった。切迫流産、切迫早産で入院する体調の中、あと少し、あと少しと両親から、あの手この手で追い込まれました。おばさんがピンチを何度も助けてくれました。娘が無事に生きれた恩返しができると思い、自分の家よりも一生懸命家の掃除をしまいた。
みんなで食品買いにスーパー並んだり。若者たちと一緒なので、3時間でも5時間でもスーパーに並べます。ご飯も私が作ります。おじさんがたまに帰ってきました。ご飯食べて、仮眠して、すぐ仕事です。おばさんもたまに帰ってきました。支援物資を必要な人に配るのが忙しく、すぐ仕事に戻りました。
いとこは当時、中学3年生でした。そう3月中旬、公立入試の合格発表です。
親は子供の合格発表なんて気にしている余裕が有りません。本当は気になっていたと思います。思春期のいとこは、とても可愛そうでした。仕方ないのは解っていても、誰も合格発表を楽しみにする余裕がありません。両親は合格発表よりも仕事です。思春期真っ最中には辛かったと思います。愚痴る相手も居ないですし、我慢している姿を私は見ていました。
合格発表の当日は、13時に学校に合格者が発表され、15時にオンラインで合格発表がありました。
朝からそわそわしている姿が可哀想で、「よし!高校に見に行こう!!」と合格発表を見に行きました。当時私は26歳です。1歳になったばかりの娘連れて、3人で合格発表を見に行きました。いとこは車から降りてきて欲しくなかったようです。でも娘が泣いたので、娘の散歩がてら一緒に合格発表を見ました。保護者?親代わりです。とても緊張したのを覚えています。結果は「合格」でした。こんな時に嬉しい報告です。
車に戻ると、普段無口のいとこが突然のマシンガントークが始まりました。文句が止まらない。言われてみれば、親戚で一人だけ公立合格者でした。今まで大変だった事、うわーーーーと話し始めたました。11歳年が離れていますが、合格発表を見に行って以来仲良しです。
大事故をおこす
時はすぎ・・。震災から4年後に結婚。(第二子)息子が産まれました。
息子が生後10か月の時、海の方へ友達とドライブに行きました。
この時の砂浜で最初におかしくなったのは長女です。
「ばかやろーーー」「えーーーーーぃ」と木の棒を振り回して発狂していました。大爆笑です。
「負けるもんか」「えーーーーーぃ」「きあいだーーー」って。
何ごっごしているの?って程、不思議キャラが炸裂していました。でもそれで良かったのです。長女の行動が正解でした。
翌日、息子の様子がおかしくなりました。良く寝ます。起きている時間が極端に減り意識が朦朧としているようにも見えました。
また翌日、夜中に誰かが部屋に来ます。連日人の気配がしていまいた。気配がすると同時に息子が発狂します。
また別な日、息子はお風呂に入れなくなりました。風呂のお湯を見ると、口の中を切る程大暴れします。泣き叫びながら口から血を吐いて居ました。生後10か月のできごとです。
びっくりしたのは、ホームエステの人が来た時です。私の顔にスチームをした途端に大暴れしました。私の元に来たいのにスチームが怖くて、腰から上に来れず、足元で大暴れしていました。頭沢山打ちつけて。額から出血するほど暴れていました。心霊現象を信じないエステの人もびっくりです。普通、怖い事があれば母親に抱きついてきますよね・・?息子はスチームに近寄れずに、足元で苦しがっていました。まるで、金魚を地面に置いたほど大暴れしています。
病院で徹底的に検査し、何も問題が有りませんでした。
「成長的なもの」「そういう時期」「心配だったらまた受診するように」との事でした。
お祓いも予約し、予約まで日にちが空いたので、仏具屋で塗香を買いました・・。息子に塗香が良いかもしれない・・。楽にしてあげたい一心です。塗香を買いに行こうとしても、道を度々間違えなかなか店につきませんでした。家に帰そうとしても、家とは逆の方向に向かってしまいます。
塗香を買った帰り、私は大事故を起こしました。全損大破です。パトカー5代、消防車1台、救急車3台‥信じられない光景でした。
相手の車も自分の車も思い出せない。でも相手の方はスタントマンのような方で、車が大破したのに、後部座席から自力で脱出してくれました。命に別条が無く、念のために病院に行き、その日のうちに仕事に戻ったようです。息子の救助まで助けて頂きました。
被害者の方に「大丈夫ですか?お母さん!」「大丈夫ですか?しっかりしてください!」励まされたのを覚えています。血だらけになりボロボロだったのは私です。自業自得みっともない姿です。消えてしまえば良かった・・。何度も思いました。でも、私には生きる道を選択する運命が与えられました。弱っていては子供達が心配します。命があったので、生きるしか有りません。
すべては私が悪い・・。なんで私は助かった・・。なんで消えなかった?!警察の人が、私を責めなかったのを覚えています。一歩間違えば犯罪者です。犯罪者の扱いを全くされないほどの状況に情けなくなりました。
金曜日の夕方。警察も10人以上いたと思います。早く帰りたいだろうし、帰りを待っている人が居るかもしれないですし、とにかく謝り続けました。相当血だらけだったと思います。
旦那さんは台湾に出張中で、緊急帰国になりました。娘は英語教室に居て、教室の先生が自宅に送ってくれました。
私は子供を預ける人が居なかったので、病院での処置も検査も息子と一緒でした。息子が泣き叫び処置ができません・・。謝り続けました。異常がないと言われ、貧血を隠し、熱出しながら家に帰り育児をしたのを覚えています。助けなんて要らない・・。自分が悪い。苦しんで当たり前だ!罪悪感で誰にも連絡する事が出来ずに、旦那さんが帰国するまでの間、なんとか暮らしました。
後日、被害者の方に謝りに行くと、自宅ではなく職場へと言われました。「自分は鍛えているのでなんともないけど、同じくらいの歳の子供が居ます。お子さん大丈夫でしたか?怖い思いさせてすみませんでした。よけれあげれればよかったです」と・・神様みたいな人でした。家族が心配するから、家族に大事故だった事は言わなかったそうです。「もう大丈夫なので謝らないでください。お子さん心配しますから!!」と言ってくれました。そんな人柄の方に出会い、私も生きて、そんな人になりたいと思いました。
とは言え、社有車を大破させてしまったので、会社の人にも謝りました。車のディラーさんです。この状態良く見かけるから良いの!良いの!と・・。大丈夫ですから・・。旦那さんもびっくりしましたね・・と、逆に気遣って頂きました。そんな暖かい方々の姿に「見習って生きなさい!」そんなメッセージを受け取りました。
保険もあまり請求していなかったのを覚えています。性格も人生も何もかも変わろうと思いました。
海に行って以来事故の間も、息子はおかしくなって暴れます・・。救急隊も事故の異常と判断して、息子の検査もしてもらいました。でも異常なしです。
津波で流された親子の霊を見送り
後日、お祓いが出来る先生の元へ・・
やっとこの日が・・ついにこの日が来た気分になりました。「やっと救われる」そんな気持ちです。私と息子の霊体験に終わりが来ます。
私には、同じ年くらいの女性の霊が一人。子供を探しているようでした。
(まさかのできごとです。こんなことあるの?と疑いました)
「寒い」「子供に会いたい」「どこに行ったの?」「何が起こった?」「どうして?」って。
全て説明しました。
「悔しい」「助かりたい」「生き延びたい」って。
気持ちわかる。辛かったね・・。助けてあげるよ。お空にお見送りするからね・・。と御霊に話しかけます。信じられない出来事です。でも何かが起こっているので、「信じられない・・」「まった!」なんて言う余裕なし、出来る事をやらないといけませんでした。
息子から出てきたのは、親子です。
「お母さん?どこ?」「苦しい」「痛い」「助けて」って。女性の霊と、子供の霊が現れました。さまよって辛かったね・・。と語りかけます。
長女は海に行った時、全力の気合で叫んでいましたので、何も憑きませんでした。
除霊&供養開始です。3名見送りました。
「気持ち受け取ったよ。だからお空でゆっくり休んでね」
「もう痛い事も、怖い事もないよ。」伝えました。
霊だって「ごめんささい悔しかった。私も生きたかった」しっかりと感情があります。そりゃそうだ!気持ちが本当に解る・・・。どんなに悔しいか・・・。
「大丈夫。私の事は気にしなくて良いから、ゆっくりお空で休んでね」
「私はあなた達を見送る事が出来て良かったです」と、伝えたのを覚えています。
息子に憑いてしまった子は、イヤイヤ期だったのか?最後まで言う事を聞きませんでした。
「ほら、お空に行ってゆっくりしなさい!」「こっちの世界に戻って来ちゃだめだよ」伝えても、何度も「お母さん?」と探しに戻ってきました。「まっすぐ歩きなさい!」と言い聞かせるような年頃です。
塔婆を書き、連日ご供養しました。あの世の事は私は詳しく解りません。先生が何を言っているのか?解らない事も多いです。とにかく最終的には仏様の元に座れた・・と?!(それ?どんな世界?と思いながら・・)
息子が連日、口から血を流し暴れるのもおさまりました。普段通りの息子です。本当に不思議体験をしました。
私はあまり非現実的な世界が好きでは有りません。そっちの世界に関わると昔から苦労する事が多く、認めたくない世界でした。当時は腹をくくっておらず、半信半疑の中途半端です。
先生に「あんたが付いて居ながら何やってるのよ!」と本気で怒られたのを覚えています。「あんたが付いて居ながらなんで?」「子供を守る気ないの?」散々説教されたのを覚えています。怒られ過ぎて、もっと自覚しよう。もっと力を付けよう。二度と同じ目に合わない・・。人に迷惑もかけない!!と心に決めました。今の私が居るのは、この時供養した人たちのお陰です。中途半端だった自分がおこした出来事です。もっと強く生きようを思いました。「御霊」から、きっかけをもらいました。
全て私が悪いのです。私の考え方、生き方は全て間違っていました。
こんな体質でありながら、中途半端な人間が被害の酷かった浜辺に行ったから起こった出来事です。
こんな体質である以上、子供の為に知識や力を付けなければいけません。大嫌いだった冷媒体質です。気が狂いそうになったことが何度もあります。意識が飛んだ事も何度もあります。
友達の相談に違う目線からアドバイス出来る事も有れば、こんな体質だからこそ苦労した事も沢山あります。でも、もう子供達に遺伝してしまいました。私は自分だけ逃げられないのです。冷媒体質をコントロールするしか道が無い事を思い知りました。
この出来事で霊を怖がってはいけないと思いました。
亡くなった方のご家族は成仏を願っているはずです。きっと心から心配しています。ある日突然命を落とし、そのあとお空でのんびり過ごしていると知ったら、きっと身内は救われるはずです。
「戻る事が許される時(お盆など)には、家族の元に帰り安心させてあげて下さいね」と伝えました。暖かい光が帰ってきたら、もしかしたら家族は気づくかもしれません。
そう考えると、心霊スポット、肝試しなんてする人が居ますが、霊は好きでそうなったわけでは有りません。人を怖がらせたいわけでも有りません。たださまよっているだけです。身内にとっては大切な存在です。それを面白がったらいけないのです。そんな状況を友達と楽しんでしまったら、全力で怒りを受け止める事になるのも当然です。
大切な人をある日突然失ったご家族の気持ちになると心が痛いです。
私も息子も無事に解決しまた。無事に終わらせてくれたのも「霊」からの配慮だったのかもしれません。
あれから12年
震災直後、TV局の企画で、被災がひどかった小学校の子供達をを励ます企画がありました。ボランティアで参加しました。私も子を持つ母です。励ましたかった・・・。だからすぐ申し込みました。でもNG事項が多すぎて、結局だれとも会話できませんでした。
後ろ姿に送ったエール!!いつか絶対に笑顔に戻ってね!とも言えずに・・。
タダタダ、誘導係をしたのを覚えています。
あれから12年。被災地はどんどん日常を取り戻しています。でもまだまだ、日常が戻らないエリアも沢山あります。
「どうせ自分なんか」
「どうせ生きていても別に・・」って誰もが思ったことがあると思います。
私も何度もそう思いました。
でも命があるからこそ、乗り越える課題もあり、楽しい事もあり・・。
ただ生きる事に意味があるのかな?と思って居ます。
生きていたら、些細な事で人の役に立てることもあるのです。誰かが幸せになれるのです。
それは、大きなことでは無くて、道を教えてあげただけかもしれません。でも人を助ける事には変わりません。
私は強くなんかない
強く生きるしかなかったタイプです。
人との出会い、起こった出来事により、考え方や生き方を何度も変えてきた人間です。
人にはどんな難題も乗り越えて、また前に進む力が備わっています。
どんな大ピンチも当たり前に乗り越える力があります・・。昔おこった、自然災害だってなんだって、ご先祖たちは何度も何度も乗り越えてきています。だから自分だけが乗り越えられない壁って無いと思ってます。
人には回復する力、生命力が備わっていると信じて。強く前を向く力が必要です。
んーーー話がまとまりません。のでこの辺で!!
あの日を絶対に忘れません。
震災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。






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